皆さんこんにちは!
突然ですが、この言葉をご存知でしょうか
「無事これ名馬」と書けばより分かりやすいかもしれません。
意味としては、主に競走馬のことを指して「能力が劣っていても、怪我なく無事に走り続ける馬は名馬である」 と言う意味です。
私はこの言葉が好きで、もはや座右の銘と言えるほどこの言葉に助けられています。

部活でも大した成績は残したこともないし、テストもパッとしない
かといって特別、人に自慢できる特技がなく、自分には、センスも能力もないなど、自分に自信が持てない、自分のことを好きになれない人に読んでいただけたらと思います。
無事であることもスキル
無事是名馬の「無事」ですが、私は「継続できること」だと解釈しています。
競走馬の例だと、怪我をしないことで継続してレースに出て結果を出す事ができますし、プロ野球で言うと、5年連続規定投球回を突破したスタンリッジや、4年連続の西勇輝などな当たるでしょうか。
(最長記録は日米通算で8年の前田健太になりますが、彼は広島時代は絶対的エースでしたので、無事であり更に名馬中の名馬であると言えます)
野球を知らない方にこのすごさを伝えると、現役では西勇輝やスタンリッジを含めて、4年以上規定投球回を、突破した人は7人しかいません。
アリゾナダイヤモンドバックスのザック・グレインキー投手は、11年連続二けた勝利です。
これは十分名馬と言えますよね?
無事でない人が多い
プロ野球選手自体が名馬だと言うことは置いておいて、怪我や病気などさまざまな想定外がある中で継続することは非常に難しいのです。
ここで話を大学生に移しましょう。
自分の周りの大学生を思い浮かべて、ずっとなにかを継続している人がどれくらいいますか?
TOEICで600点が取りたい、〇〇の資格が取りたい、プログラミングを勉強してアプリを作りたいと言っている人がいて、有言実行できている人は意外と少ないと思います。
できている人は素晴らしいと思います。
TOEICや資格、アプリ開発(程度の差はありますが)に関してはプロ野球選手になることに比べれば努力の量は比較にならないほど少ないはずです。
なので、効率の良し悪しはあれど時間をかければ十分達成可能な目標のはずです。
中には、1限目の講義にすら間に合わない人がいますが、ごく一部の天才を除いては1限に来てまじめに話し聞くべきでしょう。
大学生は些細なことでも継続できる人とできない人で大きな差がついてしまいます。
継続できる人は、できる人の中での競争になっていくだけで、決して継続できない人が割って入れる状況ではなくなってきます。
無事であることで、確実に多数との差は広がっていきます。
時間が掛かってもいい
何でもそうですが、新しいことに挑戦してみたものの、少しだけしかやらず投げ出していませんか?
やってみたけど自分には出来そうにない。
あいつはすぐ出来た、自分にはセンスがないんだ。
こんな風に思ってませんか?
私は初めて受けたTOEICで270点と言うスコアを出してしまい、補修のクラスにも入っていました。
最初は英語が大嫌いでしたが、勉強するうちに少しずつスコアが上がり、1年後には640点、2年後には790点まで上げる事ができました。
何かを取得する効率はそんなに重要でしょうか。
私の英語の勉強時間で言えば900点くらい取れていてもおかしくない時間を勉強してきました。
効率は決して良くありません。
しかし、TOEICのスコアが必要になった時に、学習時間は聞かれますか?
プログラミングの仕事を受けるにしても、成果物を聞かれるのではないでしょうか。
相手にとって重要なのは、スキルの習得速度ではなく、そのスキルを持っているかです。
継続して、少し周りより時間が掛かってもスキルは確実に自分のものになります。
そうすれば自分より効率が良くても、途中で辞めてしまったライバルよりは確実に良い結果になります。

ゆっくりでも継続できれば必ず結果は出てきますので、頑張りましょう!
無事でなければ名馬にはなれない
「〇〇高校なの?!じゃあ自頭良いんだね」
大学生であれば、こんな会話を一度や二度はした事があるでしょう。
大学1年生の時ならまだしも、3年生や4年生になってまでこんな会話をしていませんか?
「あの人は大学の成績悪いし朝起きれないけど、出身高校は良いからきっとやればできる」
私としては3年や4年、なんなら1年あれば、高校時代の貯金は全て使い果たし、入学時に下にいたが、継続して努力してきた学生たちに抜かされてしまうと思っています。
そんな無事でない人が3年生や4年生、就職活動が始まる直前に本気を出して何かに取り組もうとしても、継続して取り組んできた無事な人には勝てません。
その無事な人は、無事でない人が頑張っている時も頑張っていますからね。
継続して努力できない人は、いくら自頭が良くても名馬にはなれません。
普通の大学生でも、継続して自己研鑽を積むことで少しずつ普通でない学生に変わっていけます。
もちろん私も今の自分に満足していないのでこれからの進んでいきます。
かなり話が飛び飛びになってしまいましたが、ここで終わります。
もはや座右の銘と言っても良いほどで、いつもこの言葉に助けられています。